俎上の魚(そじょうのうお)
田中雄一(たなかゆういち)は、地方の小さな町で生まれ育った普通の青年だった。彼は高校卒業後、地元の小さな会社に就職し、平凡な毎日を送っていた。だが、ある日突然、会社が大手企業に買収されるという知らせが舞い込んできた。
新しい経営陣が町にやってきて、田中を含む全社員に会議室への召集がかかった。その場で、新たな上司が彼らに言い渡したのは、これからの人員整理のため、誰が会社に残るかが評価されるという事実だった。
その瞬間、田中はまるで俎上に載せられた魚のような気分になった。自分の運命が他人の手に握られ、自分では何もできない無力感に襲われたのだ。会議室は重苦しい空気に包まれ、誰もが口を閉ざし、上司の言葉にただうなずくしかなかった。
田中は内心、どうすればよいか分からずにいた。会社に残りたいが、これまでの自分の働きが評価されるかどうか、まったく自信がなかった。帰り道、彼は深い溜息をつきながら、どうすれば自分が生き残れるのかを考えた。
翌日から、田中は今まで以上に仕事に打ち込み始めた。毎日の業務を丁寧にこなし、少しでも自分をアピールしようと懸命に努力した。しかし、どれだけ努力しても、評価が下るのは他人の手であり、彼自身がどうすることもできないという事実は変わらなかった。
最終的に、会社の方針が正式に発表され、田中はその中に自分の名前があることを知った。解雇ではなかったが、配置転換で大きな都市の支社への異動が命じられたのだ。彼はそれを受け入れるしかなかったが、心の中には複雑な感情が渦巻いていた。
都会への異動は田中にとって未知の世界への挑戦だった。彼は新たな環境で自分をどうやって証明すればいいのか、不安と期待の狭間で揺れ動いた。だが、どこかで「俎上の魚」であった自分が、今度はその俎上から飛び出し、自由を得る瞬間が来るのではないかと、希望も抱いていた。
数カ月後、田中は新しい職場で少しずつ信頼を築き始めていた。最初は戸惑いと緊張の連続だったが、彼は持ち前の粘り強さと誠実さで周囲の信頼を勝ち取り、新しい生活に馴染んでいった。
田中は心の中で、あの日の無力感を忘れないと誓った。だが、今度はただの「俎上の魚」ではなく、自分の力で未来を切り開く存在でありたいと願ったのだ。そして、彼は一歩一歩、新たな道を進んでいった。
ことわざから小説を執筆 #田記正規 #読み方
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