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衣鉢を伝う

 衣鉢を伝う(いはつをつたう)」は、師匠から弟子へ、学問・技術・芸術などの奥義や精神を受け継がせるという意味です。もともとは仏教で、師から弟子へ教えを伝える際の「衣」と「鉢」に由来します。 どんな場面で使う? 特に、長年培われた高度な技術や伝統を、師から後継者へ受け継ぐ場面で使うと自然です。 例えば、 伝統工芸 名人は、長年培った技を弟子に伝え、衣鉢を伝うことを使命としている。 芸術・芸能 師匠の芸風を受け継いだ彼は、まさに師の衣鉢を伝う存在である。 学問 教授の研究を若手研究者が引き継ぎ、その衣鉢を伝うことになった。 職人の世界 父から息子へ、代々続く職人の技が衣鉢を伝う形で受け継がれている。 この言葉はかなり格式のある、改まった表現なので、単に「料理の作り方を教えてもらった」のような日常的な場面には少し大げさです。 なお、似た表現に 「衣鉢を継ぐ」 があり、こちらは「弟子が師の奥義や業績を受け継ぐ」という意味で、現在はこちらのほうが使いやすい表現です。 簡単に言えば、「師匠の技・教え・精神を、後継者に受け継がせる」という場面で使う言葉です。 ことわざから小説を執筆
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韋編三度絶つ

 韋編三度絶つ(いへんみたびたつ)」は、同じ本を何度も繰り返し読み、深く理解することを表す言葉です。『史記』にある、孔子が『易』を熟読したため、竹簡を綴じていた革ひもが三度も切れたという故事が由来です。 どんな場面で使う? 特に、勉強・研究・読書などで、一冊の本を何度も読み込んでいる人について使うと自然です。 例えば、 「彼はこの古典を韋編三度絶つほど読み込んでいる。」 「試験前は参考書を何冊も増やすより、重要な一冊を韋編三度絶つつもりで読み返そう。」 「この論文を書くために、関連する原典を韋編三度絶つほど熟読した。」 という使い方ができます。 ただし、少し注意が必要です。「勉強を一生懸命する」という意味全般ではなく、「本を繰り返し読む」という点が中心です。辞典でも「その本を非常に愛読している」というニュアンスが強いとされています。 したがって、日常会話ではやや硬い表現ですが、「この本を何度も読み返して、すっかり内容を身につけた」ことを格調高く表したいときにぴったりです。 なお、同じ意味で、より簡潔な四字熟語の 「韋編三絶(いへんさんぜつ)」 という言い方もあります。 ことわざから小説を執筆
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鰯の頭も信心から

 鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)」は、簡単にいうと、 人から見ればつまらないものでも、本人が信じていれば、とてもありがたいもの・価値のあるものに思える という意味のことわざです。 一方で、何かを頑固に信じ込んでいる人を、少し皮肉って言う場合もあります。 どんなときに使う? たとえば、こんな場面です。 お守りや縁起担ぎを大切にしている人に 「この石を持っていると運がよくなるんだって。まあ、鰯の頭も信心からだね。」 自分のこだわりを少し冗談っぽく言うとき 「この古いペンを使うと試験に受かる気がする。鰯の頭も信心からだよ。」 他人には効果が分からないものを、本人が信じているとき 「あの健康法、本当に効果があるのかな。でも、鰯の頭も信心からというからね。」 注意するポイント このことわざには、「そんなものを信じるなんて」という皮肉・からかいのニュアンスが含まれることがあります。 そのため、相手が本気で信仰している宗教や、大切にしているものについて直接使うと、失礼に聞こえる可能性があります。 自分自身のこだわりについて、 「まあ、鰯の頭も信心からということで……」 のように使うと、比較的自然です。 ちなみに由来は、節分に鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して魔除けにする風習から来ています ことわざから小説を執筆
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言わぬが花

 言わぬが花(いわぬがはな)」は、何でも口に出して言うより、あえて言わないほうが趣があり、相手との関係にも差し障りがないという意味です。 使い道・使う場面 たとえば、次のような場面で使えます。 相手の失敗を、あえて指摘しないとき 「みんな気づいているけれど、ここは言わぬが花でしょう。」 人の秘密や個人的な事情を、わざわざ聞かないとき 「詳しい事情は本人が話さないのだから、言わぬが花だよ。」 映画や小説の結末を教えないとき 「結末を教えてしまうより、言わぬが花というものだ。」 本音を全部言うと相手を傷つけそうなとき 「思うところはいろいろあるけれど、ここは言わぬが花だ。」 つまり、**「言わないほうが、かえってよい」**と思う場面で使うことができます。 ただし、重要な連絡や仕事上の必要事項まで黙ってよい、という意味ではありません。「余計なことはあえて言わない」というニュアンスで使うのが自然です。 なお、ユーザーさんが示されたページにも、日常的な例として「失敗の理由をあえて指摘しない」「映画の結末を教えない」という使い方が掲載されています。 ことわざから小説を執筆
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魚心あれば水心

 魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)」は、相手が好意を示してくれれば、こちらも好意をもって応じるという意味のことわざです。 使い道・使い方 相手との関係が**「こちらの態度次第で、相手も同じように応じてくれる」**という場面で使います。 例文 「こちらが親切にすれば、相手も親切にしてくれる。魚心あれば水心というものだ。」 「困ったときはお互い様。魚心あれば水心で、今回は私が助けます。」 「取引先には誠実に対応しよう。魚心あれば水心で、こちらを大切にしてくれるはずだ。」 ただし、場合によっては「こちらが好意を示したら、相手もそれなりの見返りをしてほしい」という、少し打算的なニュアンスで使われることもあります。 ことわざから小説を執筆
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牛に引かれて善光寺参り

 牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)」は、自分から進んでしたわけではないのに、他人に誘われたり、思いがけない出来事がきっかけになったりして、よい方向へ導かれることを表すことわざです。 使い道・使い方 たとえば、こんな場面で使えます。 友達に誘われて旅行に行ったら、思いがけず素晴らしい場所に出会った →「友達に誘われて旅行に行ったが、まさに牛に引かれて善光寺参りだった。」 興味のなかった趣味を友人に勧められ、始めてみたら夢中になった →「最初は気が進まなかったが、友人に勧められて始めたら、牛に引かれて善光寺参りとなった。」 誘われて参加したイベントが、新しい人との出会いや仕事につながった →「何となく誘われて参加したイベントだったが、牛に引かれて善光寺参りとはこのことだ。」 つまり、**「人に誘われたことがきっかけで、思いがけず良い結果になった」**というときに使うと自然です。 ことわざから小説を執筆
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牛は牛連れ

 牛は牛連れ(うしはうしづれ)」は、似た者同士・気の合う者同士は自然に一緒になるという意味のことわざです。 使い道・使い方 たとえば、次のような場面で使えます。 性格や趣味がよく似た二人が、いつも一緒にいるとき →「あの二人は趣味も考え方もそっくりだね。まさに牛は牛連れだ。」 同じような考えを持つ人たちが集まっているとき →「このグループはみんな読書好きだね。牛は牛連れというものだ。」 「類は友を呼ぶ」とほぼ同じ意味で使いたいとき なお、「牛は牛連れ、馬は馬連れ」という形で、同類の者は同類の者と一緒になるという意味でも使われます。 ことわざから小説を執筆
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