釈迦に説法(しゃかにせっぽう)

 静かな書斎で、大学教授の安田は古い書物を読みながら、ため息をついていた。彼は哲学の専門家として、数々の論文を書き上げ、学生たちに高く評価されていたが、最近は年齢のせいか新しい発見に喜びを感じることが少なくなっていた。


そんなある日、安田の書斎に若手の助手、佐藤が訪れた。彼は研究に燃え、いつもエネルギッシュに新しい議論やアイデアを持ち込んでいた。


「先生、今日はこのテーマについてディスカッションをしたいと思います。最近の研究で、物質と意識の関係について新しい視点を見つけました!」


佐藤は熱心に説明を始めた。しかし、安田は心の中で微笑んだ。この議論は、彼が何十年も前に深く掘り下げ、すでに結論を得ていたテーマだった。しかも、佐藤が持ってきた新しいと言われる視点も、過去の古典的な議論の焼き直しに過ぎなかった。


「佐藤君、その話は非常に興味深いね」と、安田は優しく言葉を返した。「しかし、この問題は、実は釈迦に説法かもしれないよ。つまり、君が言っていることは、すでに多くの先人たちが議論してきたことなんだ。例えば、デカルトやカントも同じような考え方にたどり着いたことがあるんだ。」


佐藤は一瞬、驚いた表情を浮かべたが、すぐに理解し、頭を下げた。「そうですね、先生。自分の未熟さを痛感しました。もっとしっかりと過去の研究を学ばなければなりません。」


安田は穏やかな笑みを浮かべながら、手元の古書を佐藤に見せた。「君の情熱は素晴らしい。でも、学ぶべきは過去からだけではなく、現在と未来にも目を向けることだよ。君のアイデアが完全に間違っているわけではない。ただ、それを深め、より大きな文脈で考えることが重要なんだ。」


佐藤は深く頷き、「釈迦に説法」という言葉の意味を改めて感じた。そして、自分の研究がまだまだ未熟であることを認識し、謙虚に学び直す決意を固めた。


それ以来、佐藤は一層の努力を重ね、次第に新たな視点で物質と意識の関係を解明していった。安田もまた、佐藤の成長を見守りながら、自身の知識に新たな価値を見出すことができた。



ことわざから小説を執筆
#田記正規 #読み方

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